横浜地方裁判所 平成6年(わ)2490号 判決 1995年10月30日
主文
被告人株式会社甲野組を罰金三〇万円に処する。
被告人Aを禁錮一年四月に、被告人Bを禁錮一年にそれぞれ処する。
訴訟費用はその二分の一ずつを被告人A、同Bの負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
被告人株式会社甲野組は、神奈川県厚木市《番地略》に本店を置き、鳶及び土工の供給、建築工事の請負及び土木工事に関する一切の鳶工事の請負等を業とし、同県海老名市《番地略》所在の株式会社甲野組第一工事部作業員宿舎(鉄骨造、亜鉛メッキ鋼板葺三階建、延床面積一、二八〇・八一平方メートル)を所有する事業主であったもの、被告人Aは、被告人会社の代表取締役でその業務全般を統括し、被告人会社の作業員宿舎の管理を統括する者として、防火対象物で建設業附属寄宿舎である右第一工事部作業員宿舎につき、警報、避難等に必要な構造及び設備の設置、維持管理の防火管理上及び労働者の生命維持に必要な措置を講じるなどの業務に従事していたもの、被告人Bは、被告人会社の取締役工事総括部長兼第一工事部長で、右作業員宿舎の防火及び寄宿労働者の管理全般を担当する者として、同宿舎につき、警報、避難等に必要な構造及び設備の設置、維持管理等の防火管理上及び労働者の生命維持に必要な措置を講じ、かつ、同宿舎内において労働者が安全に寄宿できるような適正配置をするなどの業務に従事していたものであるところ、同宿舎は平素五〇名以上の労働者が寄宿し、常時一五人以上の者が二階以上の寝室に居住する建物で、昭和六三年一一月ころ、その二階居室及び廊下部分を増築したが、その際床や天井をベニヤ板張りにするなどして防火構造とせず、かつ一階中央部附近に通じる内階段一基を設けたのみで避難や排煙等のため必要な避難階段や外気に有効に通じる窓を設けず、自動火災報知器を設置しないなど関係法令に違反して増築した違法建築であって、一旦同宿舎内から火災が発生した場合、同宿舎二階部分に寄宿する多数の労働者が避難の時期、場所を失し、その生命身体に危害を及ぼす危険があったのであるから、被告人A及び同Bは、火災発生時における寄宿労働者の生命身体の安全を図り、死傷者の発生を未然に防止するため、同宿舎二階居室及び廊下部分につき、適正に配置され、かつ、容易に屋外の安全な場所に通じる二以上の避難階段、外気と有効に通じる窓及び自動火災報知器等必要な構造及び設備を設置し、これを有効なものとして維持管理するなどして、出火した場合、早期にこれを寄宿労働者に覚知せしめ、同人らが安全な場所に避難できるよう万全の措置を講じるか、同宿舎二階居室部分に寄宿する労働者を同宿舎三階に移動させるなどして同宿舎二階居室部分に寄宿させないようにし、もって火災発生時における寄宿労働者の生命身体の安全を確保すべき業務上の注意義務があるのに、いずれもこれを怠り、同宿舎二階居室及び廊下部分につき、避難階段、窓及び自動火災報知器等必要な構造、設備を設置しないまま、漫然、同宿舎二階居室部分に労働者を寄宿させ続けた過失により、平成六年七月六日午前二時ころ、同宿舎一階中央部附近から出火して同宿舎二階、三階など約一、二四九・二二平方メートルを焼毀した際、同宿舎二階で就寝中の寄宿労働者をして、避難の時期及び場所を失わせ、激しい火炎を浴びさせ、多量の煙を吸引させるなどし、よって、そのころ、同所附近において、別紙死亡者一覧表記載のとおり、C(当時四三歳)ら八名を死亡するに至らしめ、その際いずれも被告人会社の業務に関し、同日、同宿舎を建設業附属寄宿舎として使用するに際し、被告人A及び被告人Bにおいて、法定の除外事由がないのに、同宿舎は常時一五人以上の者が二階以上の寝室に居住する建物であったから、同宿舎二階部分につき、適正に配置され、かつ容易に屋外の安全な場所に通じる二以上の避難階段を設けず、被告人Aにおいて、火災その他非常の場合に、寄宿する者にこれをすみやかに知らせるための警鐘、非常ベル、サイレンその他の警報設備を設けなければならないのに、これを設けず、いずれも建設業の附属寄宿舎について、避難に必要な措置その他労働者の生命の維持に必要な措置を講じなかったものである。
(証拠の標目)《略》
(弁護人の主張に対する判断)
弁護人は、1労働基準法違反の事実につき、検察官は、建設業附属寄宿舎規程八条一項後段に違反すると主張しているが、そうではなく同規程八条一項前段に違反する、2本件業務上過失致死事件の過失内容は、直近単一過失説の立場から二階の作業員を三階に移しておかなかったことのみが本件の過失である、と主張する。
1 建設業附属寄宿舎規程八条一項前段或いは後段のいずれが適用されるか。
この問題は、検察官が焼死者が居住していた二階を含む建物全体が一つの宿舎であると主張しているのに対し、弁護人は二階と三階とは別個の宿舎であると主張していることになる。
建設業附属寄宿舎規程八条一項にいう宿舎として一個であるかどうかは、その建造物を自然的、社会的見地から総合的に検討して一個の宿舎であるかどうかを決すべきであるところ、本件甲野組第一工事部作業員宿舎は、二階部分及び三階部分が同じ屋根の下にあり、かつ外壁を共通にし、しかも主要な柱を共用していたものであるから、自然的、社会的に総合的にみて一個の宿舎であると認めるのが相当であり、建設業附属寄宿舎規程八条一項後段に該当するものとみるべきであるから、この点に関する弁護人の主張は理由がない。
2 本件業務上過失致死罪における過失の内容について
この点については、過失を段階的に認め(段階的過失説)、認定できる直近の過失だけが過失の内容をなすという直近単一過失説は、学説上も実務上も非常に有力である。
分かりやすく説明するため自動車による交通事故の事例をひいて説明しよう。自動車を運転中自車を交差点で歩行者に衝突させ、同人に傷害を負わせたとする。このような場合、交通事故の時点から過去を回顧し、どのようにすれば交通事故の発生を避けられたかを考えるというのが過失論の出発点である。
このような場合、多くは前方を注視し減速して進行するべきであったということが考えられよう。被告人にそれを履行する能力があれば、前記の内容が過失の内容をなす。もし被告人がこの当時酒に酔って前方を注視したり減速して進行することが不可能であった場合には、酒に酔って自動車を運転したことが過失の内容をなす。稀には酒に酔っていなくても、もともと自動車を運転することができなかったという場合も考えられる。このような場合にあっては自動車の運転を始めたことが過失の内容となる。このように段階的過失説は、過失が論理的に前後の関係でとらえられることが前提となっている。それと同時に段階的過失説といえども、前方を注視する義務と減速して進行する義務というように注意義務が併立することを必ずしも否定していないことを注意する必要がある。
さて、本件の場合はどうであろうか。
弁護人は、二階の居住者を三階に移す方が直近過失であるという。しかし、本件において焼死者のうち数名の者は過去に三階に居住したことがあったが、人間関係その他の理由で二階に舞い戻って来たものであることが窺われる。そうであるとすれば、二階の居住者を完全に三階に移すためには二階部分を完全に閉鎖しなければならないであろう。
このように見てくると、二階の居住者を三階に移すべき注意義務が論理的に二階に避難階段や自動火災報知器を設置したりする注意義務の前段階にあるとは言い難く、両者の義務が併存するものと解すべきである。したがって、弁護人の主張は理由がない。
(法令の適用)
被告人株式会社甲野組の判示所為は、労働基準法一二一条一項、一一九条一号、九六条、建設業附属寄宿舎規程八条、一一条に、被告人A、同Bの判示各所為のうち各業務上過失致死の点はいずれも平成七年法律第九一号による改正前の刑法二一一条前段に、各労働基準法違反の点は労働基準法一一九条一号、九六条、建設業附属寄宿舎規程八条一項後段(被告人Aについては更に同規程一一条)にそれぞれ該当するが、右は一個の行為で数個の罪名に触れる場合であるから平成七年法律第九一号による改正前の刑法五四条一項前段、一〇条により犯情の最も重いと認める別紙死亡者一覧表番号六のDに対する業務上過失致死罪の刑で処断することとし、被告人A、同Bにつき所定刑中いずれも禁錮刑を選択し、所定の罰金額及び刑期の範囲内で、被告人株式会社甲野組を罰金三〇万円に、被告人Aを禁錮一年四月に、被告人Bを禁錮一年にそれぞれ処する。なお、訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項本文によりその二分の一ずつを被告人A、同Bの各負担とする。
(量刑の理由)
本件は、判示のような業務上過失致死、労働基準法違反の事案であるが、本件においては、まず八名という大量な死亡者を出した悲惨な結果に注目しなければならない。さらに本件の出火場所である株式会社甲野組第一工事部作業員宿舎は、消防法、労働基準法、建築基準法等多数の関係法規に違反する欠陥建造物であり、建築学者や消防関係者など多くの専門家から、本件火災の原因が何であったにせよ、本件の欠陥建造物に人を住まわせたこと自体が人災であるとか、本件作業員宿舎は昔よくいわれたタコ部屋以下のものであると酷評されている事実がある。
本件の被害者には眠っているうちに焼死した者は一名も見当らず、いずれも火災に気付き逃げまどううちに火炎にあぶられ、煙に巻かれて死亡したものであって、その結果は悲惨というほかはなく、避難階段、窓等の設備があれば容易に全員が避難し得たものと認められる。このことは窓の全くない二〇八、二〇九号の居住者は八名のうち七名が死亡しているのに対し、不十分ながら窓のあった二一〇号室の居住者は三名のうち二名が助かっていることからも容易に窺い知ることができる。
このような悲惨な結果を招いたのは株式会社甲野組における現場重視、宿舎軽視という経営態度の現れであって、被告人A、同Bら同社の経営者に対しては厳しい反省を求めなければならない。
このように見てくると被告人A、同Bの刑事責任は重いといわざるを得ない。
そうすると、本件火災の原因は犯行当時一五歳の少年の放火であること、被告人A、同Bが本件火災後死亡者の遺族を訪ねて謝罪してまわっていること(とくに被告人Aについては、病気のため身体が不自由であったのになされている点で高く評価されるべきである。)、葬儀、初七日、四九日、お彼岸、一周忌などについて被告人会社において法要が営まれていること、被害者の遺族の中には一時被告人会社に対し厳しい感情を持っていた者もいるが、結局身元の分からない自称Eを除く七名については被害者の遺族との間に示談が成立していること、自称Eについては被告人会社が一〇〇〇万円、被告人Aが一〇〇万円、被告人Bが二〇万円を法律扶助協会に寄附していること(この一一二〇万円については五年以内に自称Eの遺族が判明した場合にはこれが遺族に支払われることになっている。)、被告人A、同Bが深く反省していること、被告人Aの健康状態及び被告人Bが地域の少年野球チームのコーチとして尽力していることなど被告人らのためにしん酌すべき事情を十分に考慮しても、本件事案の重大性にかんがみ、被告人Aを禁錮一年四月の、被告人Bを禁錮一年の各実刑に処するのはやむを得ないところである。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判官 小田健司)